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江戸城西の丸に出前した初代割烹 嶋村善吉
老舗割烹が代々受け継ぐ、徳川家に愛された江戸の味 嘉永3年(1850年)に仕出しの店として創業した「割烹 嶋村」。 徳川家にも認められた 初代・嶋村善吉の腕前 初代・嶋村善吉が興した仕出し料理の店「嶋村」。嘉永3年(1850年)、十二代将軍・徳川家慶の治世、江戸城下一の繁華街・日本橋通り4丁目(現・日本橋3丁目7番付近)に開業したその店は、 初代の一徹な仕事ぶりですぐさま日本橋の大店(おおだな)から贔屓(ひいき)にされる存在に。そして諸大名家、さらに江戸城西の丸の御用も務めるようになった。 「大政奉還後、初代と二代目はお世話になった徳川家へのご奉公を望み、隠居される慶喜公(よしのぶこう)とともに静岡に向かい東京へは戻らなかった。そして板場を預かっていた加藤善吉が三代目として跡を任されたのです」と八代目・加藤一男氏。 三代目が采配を振るう「嶋村」も大盛況。 伊藤博文や山形有朋、井上薫などの明治・大正の政界の重鎮たちが足繁く通った。また当時、隣に出版社「春陽堂」があり、その関係で久保田万太郎、田山花袋、永井荷風などは、編集部に立ち寄るたびに顔を出したとか。売れる前の荷風は「早く嶋村で昼ご飯を食えるようになりたい」と日記にも書いている。
事件関係者以外が描かれた「安政五戊午年三月三日於テ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」 安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で水戸藩からの脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼を暗殺した事件。 国立国会図書館デジタルコレクション 「安政五戊午年三月三日於テ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」 大蘇芳年,月岡米次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1305816/1 (6枚連結加工=郷文研PC管理人)) 桜田門外の変に遭遇し膝まづいている「仕出しの嶋村」初代亭主 (右から3図赤線枠内) ※事件関係者以外が描かれた唯一の図とされる。 「桜田門」 安政7年3月3日(1860年3月24日)、登城途中の大老井伊直弼の行列を、水戸・薩摩藩浪士が襲撃し、大老の首級を挙げた桜田門外の変はあまりにも有名です。東海道方面の防御として重要な門で小田原門とも言われた。 |