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神風丸と上乗天文方

神風丸御舩ノ圖 shipumaru-ofunenozu      画像クリックで拡大           画像クリックすると拡大
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寛政十一年(1799)六月廿七日江戸出帆御舩神風丸上乗天文方

渋川主水手傳 西丸小普請方書役粂右衛門(せがれ)

天文御用  堀田仁助      河村五郎八

      仁助門人  浪人  深津小志太

       見習  同   木村清蔵

       同   同   鈴木周助

仁助とその門人五人及び召使三人上下〆八人。長川沖右衛門(船頭)、長蔵、小野、水主(かこ)十七人、舟大工一人、(そま)(木こり)二人の総勢三十一人である。

 

     
       

 神風丸のその後
 
休明光記巻之一・・・・(左ページ1行目)
また御用船数艘を造る。所謂。
政徳丸・凌風丸につづいて、~風丸の記載あり・・・・
~風丸 千四百石積なり。同年相洲浦賀にて造る。翌申年、南部にて破船、修理して如~丸(にょしんまる)と改む。

【参考Web】
札幌市中央図書館 デジタルライブラリー  http://gazo.library.city.sapporo.jp/
「休明光記巻1.2」(33/65ページ)