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藝州津和野藩船屋敷出身                                                                             
堀田仁助 蝦夷地開発ルート 画像クリックで詳細表示画像クリックで詳細表示&神風丸のその後
「蝦夷地開国に付船道筋を明、其外向寄々之測天度、於蝦夷地北極出地測量相調可申上」ため蝦夷地御用を命じられた。            

蝦夷地開国につき、船道筋を明らかにし、そのほか、向こうよりよりの天度をはかり、蝦夷地において、北極出地の測量あいととのえ、もうしあぐべし

寛政11年(1799)幕府の東蝦夷地上地のとき、各地の緯度測量のため、御用船神風丸で現地に派遣された天文御用堀田仁助(ほったにすけ)の門弟鈴木周助の手記より推定したルート図
 
尚、神風丸のその後は、翌寛政12年南部にて破損、修理して改む。(参考;「休明光記1」羽太庄左衛門正養51頁)
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