お主サイトトップページ 
天神の常夜灯の油料

 廿日市の湊を見下ろす天神山に鎮座する天神坊の鐘楼堂(梵鐘をつるす堂・す堂・かねつき堂)の横に常夜灯が残っています。 廿日市の問屋商人が、今から約270年前、元文三年(1738)に夜間に航行する廻船・漁船等の「ミヨ・ミヲ(澪)ノ火」灯台として航行の安全を守り、当時真っ暗な闇夜のなか、廿日市の湊に寄港や帰港する目印として見晴らしの良い天神山に寄進したものといわれています。 
 廿日市の湊には交易のために諸国から廻船が入港しており、航行の安全と夜間の入港の目印に、適した天神山に常夜燈が設置されたのですが、実は、現存する常夜灯は明治二十三年(1890)5月に設置されたもので、海上安全と大きく刻られています。 
 常夜灯の奉納は、永代の油料も奉納します。このため一般には、その分の菜種油が採れる面積の畑を併せて奉納します。天神坊の場合は、畑ではなく灯明料として文政二年(1819)ころまで代々子孫が毎月油料を寄付していたようです。

 常夜燈設置の始まりについては、正徳二年(1712)頃には町の経費から天神坊灯明銭が、1ヶ月10匁、年間120目が支給されていました。享保21年(1735)頃には、西浜町で「常夜燈中」という維持管理組織ができていました。このことは、元文三年(1738)の問屋商人の、常夜灯老朽化により、新しく設置する為と考えられます。