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 宮島踊りの由来


「嚴島図会」によれば、 

 七月
 十六日十七日両夜多賀(たが)()念佛
 東町の濱にてこれを行ふ。相伝ふ。むかし伊豫國北條の地頭多賀江兵衛(なにがし)いふ
 武士、當國に乱入し合戦せしことありしその時(ひょう)(せん)をこの沖に(つな)ぎしに、折節(おりふし)~殿
 舞踏(ぶとう)ありしを見て、多賀江がさまざまの悪口(あくこう)し、はなはだ放逸(ほういつ)なりしに、立處(たちどころ)
 ~罰(しんばつ)ありて風あれ波たち人船とも沈没す。それより多賀江が(ゆう)(こん)ここにとどまり、
 渡海の船舶に障碍(しょうげ)をなしゝかば其霊をなだめんがため、七月十日鳥井の洲にて
 念佛供養を始しとぞ。今は十六日十七日の両夜僧俗(そうぞく)百萬遍(ひゃくまんべん)を行う。

  尚、元禄十五年成立の「嚴島道芝記」をもとに、一世紀以上後の成立になる「嚴島図会」は記述されたか。
 
多賀江念佛の由来 
 嚴島図会より引用 −画像をクリックすると拡大−

 (参考文献)
 「嚴島図会」岡田 清著 天保六年(1835)刊 福田直記編 宮島町発行 昭和四十八年
 「嚴島道芝記 全」小島常也著 元禄十五年(1702)刊 宮島町発行  昭和四十六年