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堀田仁助の痕跡

佐方 八幡神社 (1)

 文政八年(一八二五)約180年前に完成の廣島藩領内の地理や歴史を記した
『芸藩通志』によれば、佐方 八幡宮は今から400年前に、毛利家より神田の寄
進があったらしいこと。
また700年前からこの地方佐伯郡一円の領主であった桜尾城主、厳島神社の
神主家であった藤原氏が崇拝していた社で、この神社の祭主だったことが記さ
れています。推古天皇の即位元年(559)厳島の住人佐伯鞍職が神託によって
宮殿の創立を朝廷の勅許を得て、三笠浜の地に創建したとされる厳島神社と同
時の鎮座で長い歴史のある神社です。
農耕の神で佐方の氏神(古代の氏族が共同でまつった祖先神)である木造神像、
薬師如来坐像が祀られています。 
 
 

佐方 八幡神社 (2)

堀田仁助寄進の石燈籠 ーふるさと廿日市を想う仁助の心-


石灯籠の銘文

奉獻 文化五年戌辰年四月十一日建之
天文生 堀田仁助藤原泉尹

 平成十八年採拓時点でも、もう判読不能の状態です。
銘文は、「廿日市の文化 第22集 続 廿日市のいしぶみ」
平成十二年十二月発行を参考にしています。
(石灯篭の拓本 平成十八年採拓)
 

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石灯籠に刻まれた「天文生 堀田仁助」の銘に天文・地理に命をかけた仁助の
意志の強さと誇りを感じると人は言う。
仁助がこの石灯籠を寄進したのは文化五年(1808)六十一歳、幕府の天文方
に属していた時でした。
仁助にとっては、少年時代を過ごした好きなふるさと廿日市を誇りに想い、遠く
江戸から・・西の空のかなたのふるさと廿日市を決して忘れてはいなかったのです。
いつの時代でも、幾つになっても、ふるさとを想う心は持ち続けたいものです。

堀田仁助について参照

 堀田仁助寄進の石灯籠の下側に津和野藩御船屋敷の人物田原氏寄進の狛犬
 一対がある。
 廿日市市内の潮音寺、正蓮寺、蓮教寺などには津和野藩御船屋敷と縁浅からぬ
墓が見受けられる。