Hatsukaichi Shi                郷土の歴史 お主サイトトップページ 


歴史草々不一
<廿日市の成り立ち>
Hatsukaichinonaritahi

古代の廿日市あたり

旧石器時代

 廿日市市内の旧石器時代の遺跡は、二ヶ所発見されている

@ 冠遺跡(かんむりいせき) -現 廿日市市吉和- 


人物
<堀田仁助>
Hotta Nisuke

堀田仁助
(ほったにすけ)

(延享四年(1747)正月五日〜文政十二年(1829)九月五日

-廿日市に生まれた神童か-
 石見津和野藩士、天文学者、蝦夷地航海測量の先駆者である。仁助は、延享四年(1747)
津和野藩士嘉助の長子として廿日市津和野藩船屋敷に生れた。

人物
<堀田仁助の痕跡>
Hotta Nisukenokonseki


  佐方 八幡神社 (1)
 文政八年(一八二五)約180年前に完成の廣島藩領内の地理や歴史を記した  

安芸の宮島ゆかりの人物
<後白河院>
Goshirakawain

(天皇在位1155−58年、1192年没)
 あきの、いつくしま(1)へ、建春門院(2)に、あひくして、参る事ありき。やよひ(3)の十六日、京を出て、おなし月廿六日まいりつける。宝でんの 

食文化
<大内義興時代の食文化>
Ouchiyoshiokijidainosyokubunka
 

明応(めいおう)二年(一四九三)管領(かんれい)細川(ほそかわ)政元(まさもと)により将軍の地位を追われた足利義稙(よしき)(よしき義材→義尹→義稙と改名) が明応八年(一四九九) PDFファイル


宮島ぶらり旅
<日本三大道場のひとつ・宮島弥山 >
Miyajimasandaidoujyonohitotsu・miyajimamisen
 

 宮島は昔から神の島と崇められています。厳島神社の創建は、社伝によれば飛鳥時代の推古天皇の即位元年(593)とされ、仏教道場の創建は大同(だいどう)元年(806)に唐より帰朝の途次弥山において求聞持(くもんじ)修法(しゅうほう)が弘法大師により行われたことに始まります。 PDFファイル


歴史ぶらら

 <厳島合戦における陶晴賢の敗因について>

Itsukumakassenniokeru sueharukatano haiinnitsuite
 四百五十四年前に、覇権を争う壮大なドラマが、廿日市にもありました。老練な毛利元就の知略の駆け引きに、若きエリート武将、陶晴賢が果敢に挑むという厳島の合戦です。 PDFファイル

歴史ぶらら

<第2回の征長役における宮島での混乱について>
dai2kaino seichyounoekiniokeru miyajimadenokonnrannitsuite

 長州(ちょうしゅう)征討(せいとう)は、一八六〇年代に、江戸幕府と長州藩の間で二次にわたって行われた戦いである。 PDFファイル