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街道
<西国街道宿駅 廿日市宿>
saikokukaidosyukueki hatsukaichisyuku

 大坂と下関を結ぶ西国街道は、西国諸大名・長崎奉行・幕府諸役人其の他の往来や書状・諸荷物の逓送(ていそう・・・人から人へ受け継いで送ること。)など主要街道として、重要であった。宿駅は、公用の通行に対して、人馬の継ぎ立てや宿泊・飛脚などの用を成すために設けられた。 PDFファイル
西国街道沿いの廿日市市内に唯一現存の街道松
街道
<廿日市町屋の状況>
hatsukaichimachiya no jyokyo

寛永十五年(1638)ごろの廿日市には家数345軒

 現在、江戸期の廿日市町屋の状況を知るには、公的発行書として「廿日市町史資料編U 昭和50年3月20日発行」がある。新開地地詰帳のほかに、慶応三年(1867)の廿日市地詰帳などが記録されている。

<廿日市湊・北前船>
hatsukaichiminato・kitamabune

 天満宮の前の廿日市湊にあの「北前船」が出入りしていた記録がある。廿日市湊で古くより米穀等萬問屋であった大和屋の「大和屋御客帖」によれば北前船の基地である北陸地方から 鯡・鮫・鰰などが入荷している。   
 

民話
<宮島から飛んできた大蛇>
Miyajimakara tondekita daijya


 むかし、八百年も前(一一八〇年)、大原の里が秋の終わりごろ、羅漢山(錦町大原一一〇九b)の空が急に真っ赤になって、大きな車の輪のような光が現れたそうな。それは神様の光、ご神光といって空を通る時、大嵐が起こり、羅漢山のまわりはゴーゴーと気味の悪い音を立ててゆれ動き・・・

民話
<重氏と龍の駒>
Sigeujitotatsunokoma

 むかし、山代の阿賀(美和のあか)に佐伯重氏(さえきしげうじ)というさむらいがいた。