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古文書習い 塵壺 tiritubo | |||||||||||
ながおかネット・ミュージアム(長岡市立中央図書館)のHPの原本日記を 古文書習いのテキストとして変体仮名、くずし字の習得に努める。
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河井継之助とは
河井継之助と
塵壺 tiritubo −宮島の条− |
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九月廿五日 | |||||||||||
宮島壱 画像をクリックすると拡大 |
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行 | - 解読文 | 読み | |||||||||
1 | 廿五日晴 | 25日はれ | |||||||||
2 | 小舟より草津舩ニ移ると | こぶねより くさつふねにうつると | |||||||||
3 | 間毛奈く舩を泛天氣ハ好 | まもなくふねをうかべてんきはよく | |||||||||
4 | 島々諸山之好風景ヲ見直ニ厳島 | しまじましょざんのこうふうけいをみじかにいつくしま | |||||||||
5 | を左し天追い風ニ者せける故 | をさしておいかぜに はせけるゆえ | |||||||||
6 | 無程厳島江附漸五ッ頃奈り | ほどなくいつくしまえつく ようやくいつつころなり | |||||||||
7 | 此中之楽昨夜之不快 | このなかのらく さくやのふかい | |||||||||
8 | を散春るニ足レり面白事也 | をさんするにたれりおもしろいことなり | |||||||||
9 | 宮島ニ富アリ年ニ六回之由 | みやじまにとみあり ねんにろっかいのよし | |||||||||
10 | 此節ハ其一度ニて既ニ済けれ | このせつはそのいちどにて すでにすみけれ | |||||||||
11 | と毛取當之者追々行 | ども とりあてしものおいおいいく | |||||||||
12 | 事と見へ天同舩ニ三四人 | こととみえて どうふねにさん・よにん | |||||||||
13 | あ里我富札ヲ見多り | あり われとみふだをみたり | |||||||||
14 | 宮島江上がり天朝飯遠 | みやじまえあがりて あさめしを | |||||||||
意味 | |||||||||||
廿五日晴 (安政六年(1859)九月二十五日) | |||||||||||
前日広島(浅野家、三十七万六千石の城下町)に七ッ(午後四時)頃着き、夜四ッ(午後十時)時 | |||||||||||
分、船宿より宮島へ渡るため船に乗るまでの間、所々見物。広大な城市共賑やかだが、余り綺 | |||||||||||
麗とはいえない。城の外郭など、甚だ手入れがされてなく、備後の尾道よりも藝州領で、宿、村 | |||||||||||
々いづれも宜しい様に見えるが、山野も多く、広大な領地であるが余り富国ではない。 | |||||||||||
三都(江戸時代の日本三大都市 京・大坂・江戸) を見なければ、驚く程繁華である。 | |||||||||||
九ッ(午前零時)過ぎ迄、潮満ちず、舩が出ない。漸く出るかと思えば舩が川底につかえて動か | |||||||||||
ない。船頭、乗手迷惑、骨入り損。 終に小舟を雇い、壱里ばかりの草津に夜明けに着く。 | |||||||||||
寒く、寝られず、今宵は馬鹿らしい目にあった。 | |||||||||||
全体に川浅く、今宵は潮の満たざる節という。「此の川、此の如き事、儘々あり」と。潮満たざれ | |||||||||||
ば、実に不自由の川なりと継之助少々ご機嫌宜しからず。 | |||||||||||
広島からの小舟を、草津で宮島へ向かう舩に乗り換えると、間もなく舩出した。幸いにも天氣 | |||||||||||
は好し。瀬戸の島々、諸山の景色を眺める。追い風に舩足が速くなり、程なく厳島ニ着く。 | |||||||||||
漸く五ッ(午前八時)頃である。舩中から眺める好景色が、昨夜の不快を晴らしてくれたことが面 | |||||||||||
白い。宮島に富籤があり、年に六回開催される。此の度は済んでいたが富籤を当てた者は、 | |||||||||||
追々行く事と見えて、同船客に、三・四人おり、富札なるものを見た。 | |||||||||||
宮島へ上陸して朝食を | |||||||||||
九月廿五日 | |||||||||||
宮島弐 画像をクリックすると拡大 | |||||||||||
行 | - 解読文 | 読み | |||||||||
1 | 給へしニ、宿ニ富を取中し | たまえし二 やどにとみをしゅちゅうし | |||||||||
2 | 名前張り附天阿里し | なまえはりつけてありし | |||||||||
3 | ■弐朱計りニて札壱枚 | ■にしゅばかりにてふだいちまい | |||||||||
4 | を賣(カへ)我同宿行し者ハ | をかえ われとおなじやどへいきしものは | |||||||||
5 | 六七枚持居連里壱枚 | ろくひちまいもちいれり いちまい | |||||||||
6 | 當る時ハ弐両三両五両百両 | あたるときはにりょうさんりょうごりょうひゃくりょう | |||||||||
7 | 餘りも阿る由其咄細可丹 | あまりもあるよし そのはなしこまかに | |||||||||
8 | 咄し聞せけ連と毛略ス | はなしきかせけれどもりゃくす | |||||||||
9 | 宮島ハ是ニて立と云し也 | みやじまはこれにてたつといいしなり | |||||||||
10 | 面白からぬ事也今晩ハ | おもしろからぬことなり こんばんは | |||||||||
11 | 面倒ニ成之故止筆」 | めんどうになりしゆえふでをやむ | |||||||||
12 | 此後ハ不記十二月七日 | このあとはきさず 十二月七日 | |||||||||
13 | 漸出し只覚処を | ようやくだし ただおぼえしところを | |||||||||
14 | 記春留而己 | きするのみ | |||||||||
15 | □□□□□宮島江附朝飯 | □□□□□みやじまえつき あさめし | |||||||||
16 | ヲ給直見物ニ出ルし起りニ | をたまう ただちにけんぶつにでる しきりに | |||||||||
意味 | |||||||||||
食べに入った宿に富を取中した者の名前を張り附けてある。弐朱計りにて札壱枚を買い、我と同 | |||||||||||
じ宿に行きし者は六七枚持っている。壱枚当たるときは、弐両、三両、五両、百両余りにもなると | |||||||||||
のこと。其の話、細かに話聞かせけれども略ス。宮島はこれ(富籤)にて財政が成り立つと云う | |||||||||||
事 なり。面白くない事である。 今晩は面倒になるため筆を止む。 | |||||||||||
此の後は記さず。十二月七日、漸く出し(ようやくだし)、ただ覚えている事を記すのみ。 | |||||||||||
宮島へ着き、朝食を食べ、ただちに見物に出かける。しきりに | |||||||||||
九月廿五日 | |||||||||||
宮島参 画像をクリックすると拡大 | |||||||||||
行 | - 解読文 | 読み | |||||||||
1 | 案内ヲ進け連共先ニ奥州 | あんないをすすみけれども さきにおうしゅう | |||||||||
2 | 行之節金華山之案内 | こうのせつ きんかざんのあんない | |||||||||
3 | 者安記多ル覚ある故 | しゃ あきたるおぼえあるゆえ | |||||||||
4 | 敢而辞し直ニ弥山を差し天 | あえてじし ただちにみせんをさして | |||||||||
5 | 登り此山十八丁二て寺アリ | のぼり このやまじゅうはっちょうにててらあり | |||||||||
6 | 宮廻りと天更二頂二登り | みやまわりとて さらにいただきにのぼり | |||||||||
7 | 見る二廣島始江ハ五日市 | みるに ひろしまはじめ えば、いつかいち | |||||||||
8 | 廿日市地ノ御前眼下二 | はつかいち、じのごぜん がんかに | |||||||||
9 | 見下此島随一高山故四方 | みおろす このしまずいいちのこうざんゆえ しほう | |||||||||
10 | を見晴し中國四國 | をみはらし ちゅうごく、しこく、 | |||||||||
11 | 九州山我と思程之遠山 | きゅうしゅうのやまかとおもうほどのえんざん | |||||||||
12 | も見へ頂上ハ大石数ヽ | もみえ ちょうじょうは 大石数々 | |||||||||
13 | アリ天春古不留険阻ナリ | ありて すこぶるけんそなり | |||||||||
14 | 山上本堂之処ハ頂ナラサル故 | さんじょう ほんどうのところはいただきならざるゆえ | |||||||||
15 | 如此風景ハナシ先二佐野 | このごときふうけいはなし さきにさの | |||||||||
16 | 之咄之様覚宮島之山ハ | のはなしのようおぼゆ みやじまのやまは | |||||||||
17 | 不面白と必此堂迄サへ | おもしろからずと かならずこのどうまでさえ | |||||||||
意味 | |||||||||||
案内を勧められたが先に奥州行之節、金華山の案内者に呆れた覚えがあるので、あえて断り、 | |||||||||||
ただちに弥山を差して登る。 「註」(金華山は宮城県の牡鹿(おしか)半島の東に位置する島)。 | |||||||||||
此の山は十八丁にて寺あり。 宮廻りといって更に頂きに登って見ると、廣島始め江波、五日市、 | |||||||||||
廿日市、地ノ御前、眼下に見下ろす。此の島随一の高山故、四方が見晴らせ、中國、四國、九 | |||||||||||
州の山かと思う遠山も見え、頂上は大きな岩が数ヽあり、非常に地形はけわしい。山上、本堂 | |||||||||||
(弥山本堂・・求聞持堂くもんじどう)のあるところは頂上ではないので、頂上の様な風景はない。 | |||||||||||
先に佐野の話の様に思い出される。(「註」佐野の話は不詳。)「宮島の山は面白からず」と。必ず | |||||||||||
此の堂迄さえ | |||||||||||
九月廿五日 | |||||||||||
宮島肆 画像をクリックすると拡大 | |||||||||||
行 | - 解読文 | 読み | |||||||||
1 | 不被参事と思ハる尤案内 | まいられざることとおもわる もっともあんない | |||||||||
2 | ナク天ハ甚無理ナリ全態 | なくてははなはだむりなり ぜんたい | |||||||||
3 | 険二し天路不分明之処 | けんにして みち ふぶんめいのところ | |||||||||
4 | 数々阿里頂ヲ少下り釣堂 | かず々あり いただきをすこしくだり つりどう | |||||||||
5 | アリ伊都岐嶋弥山水精寺 | あり いつきしま みせん すいしょうじ | |||||||||
6 | 奉施入治承元年丁酉二月 | せにゅうたてまつり じしょうがんねんていゆうにがつ | |||||||||
7 | 日建立聖人永意施主右大将 | にち こんりゅう しょうにん えいい せしゅ うだいしょう | |||||||||
8 | 平宗盛と云字アリ古物ナリ | たいらのむねもりというじあり ふるきものなり | |||||||||
9 | 其外東南二當り社アリ随分 | そのほかとうなんにあたり やしろあり ずいぶん | |||||||||
10 | 面白山ナリ山ヲ下り本堂ヲ | おもしろきやまなり やまをくだりほんどうを | |||||||||
11 | 周く見物堂之額ハ兼 | あまねくけんぶつ どうのがくは かね | |||||||||
12 | 而聞及し通り古画数々 | て ききおよびしとおり こがかず々 | |||||||||
13 | 阿連止毛如何二春ゝけ惜 | あれども いかにすゝけ おしい | |||||||||
14 | 事ナリ堂之廣大其作り | ことなり どうのこうだい そのつくり | |||||||||
15 | 方二驚目程ナリ千畳敷 | かたに めをおどろかすほどなり せんじょうかく | |||||||||
16 | と天小高山二堂アリ此又 | とてこだかきやまにどうあり これまた | |||||||||
17 | 廣大之物ナリ鹿多ク | こうだいのものなり しかおおく | |||||||||
18 | 居陜處二座数毛屋数毛相應二 | おり、せまいところに ざかずも やかずもそうおうに | |||||||||
19 | アリけ連と毛如何二地陜 | ありけれども いかに ちせまく | |||||||||
意味 | |||||||||||
登って来ないからだと思われる。もっとも案内がないとはなはだ無理である。全体にけわしくて、道が | |||||||||||
わからないところが数々ある。頂上から少し下ると釣り堂がある。 「伊都岐嶋、弥山『水精寺』奉二施入一、 | |||||||||||
治承元年 丁酉 二月 日建立。聖人・永意。施主・右大将平宗盛」と刻銘された平相国清盛の二男・宗盛 | |||||||||||
が寄進したといわれる大梵鐘が釣られていた鐘楼がある(現在は弥山本堂に安置 されている)。梵鐘は | |||||||||||
古きものなり。其の外東南に社あり(光明院か)、随分面白い山である(なぜ面白いのかその訳は不詳で | |||||||||||
ある)。 山を下り、本堂(厳島~社)をあまねく見物する。社殿の回廊に掲げてある額は、かねて聞いてた | |||||||||||
通り、古い画(絵馬)が数々あるが、いかにもすすけ、惜しいことである。 | |||||||||||
社殿の広大、其の作り方、目を驚かす程である。千畳敷といって、小高い山に堂がある。これまた広大の | |||||||||||
ものである。(明治中期まで回廊に掲げられていた絵馬は、千畳閣(豊国神社)に移されている。) | |||||||||||
座数も屋数も相応にあるが、いかにも土地は狭く、 | |||||||||||
九月廿五日 | |||||||||||
宮島伍 画像をクリックすると拡大 | |||||||||||
行 | - 解読文 | 読み | |||||||||
1 | 陶晴堅(賢カ)之込合へ敗軍セシ | すえはるかたのこみあへ はいぐんせし | |||||||||
2 | も宣哉名高程ニハ風景 | もせんなるかな なだかきほどにはふうけい | |||||||||
3 | ナキ様ニ思夜ニナリ舩ヲ出し | なきようにおもう よるになりふねをだし | |||||||||
4 | 明方周防之新湊と云処ヘ | あけがた すおうのしんみなとというところへ | |||||||||
5 | 附 | つく | |||||||||
意味 | |||||||||||
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自らその場に立ち、「 |
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さに 、ここで2万とも3万ともいわれる兵力が |
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ったのである。 |
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たことを云うのであろう。 結局、親に出させた |
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そらく |
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に位置する |
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「 |
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風により、四十二歳で、また「なにを |
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とした |
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《 |
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江戸時代のはじめ、寛永二十年(1643年)、江戸幕府の儒学者 林羅山の三男 林春斎(1618〜1680) | |||||||||||
が全国を行脚した「日本国事跡考 にほんこくじせきこう」の中で「松島、此島之外有小島若干、殆如盆 | |||||||||||
池月波之景、境致之佳興丹後天橋立安芸厳島(宮島)、為三處奇観」 と記し、「松島、天橋立、宮島を | |||||||||||
三處奇観となす」と評したのに始まったことを指す。 | |||||||||||
【継之助の遊歴図】 引用 「塵壺―河井継之助日記」 安藤英雄 校注 平凡社 * 画像クリックで拡大 | |||||||||||
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【参考文献】 | |||||||||||
「日本庶民生活史料集成」第2巻 探検・紀行・地誌 西国編 (三一書房・1972年)所収 「塵壺」397頁- | |||||||||||
「塵壺―河井継之助日記」 安藤英雄 校注 平凡社 1998年11月30日 初版第13刷 | |||||||||||
「古文書講座 古文書字典」日本歴史古文書研究会編 | |||||||||||
「毛筆版 くずし字解読辞典」児玉幸多編 東京堂出版 2006年第4刷 | |||||||||||
「覚えておきたい古文書くずし字200選」柏書房編集部編 2009年第6刷 | |||||||||||
「覚えておきたい古文書くずし字500選」柏書房編集部編 2009年第4刷 | |||||||||||
「基礎 古文書のよみかた」林英夫監修 柏書房 2004年第9刷 | |||||||||||
「廿日市町史」廿日市町編 | |||||||||||
「宮島歌舞伎年代記」蒲田太郎・純一郎 国書刊行会 昭和50年3月25日 | |||||||||||
「宮島を楽しむ 改訂版」中国新聞社発行 平成18年4月 | |||||||||||
【参考Web】 | |||||||||||
ながおかネット・ミュージアム「塵壺」より引用 http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/museum/tiritubo/index.html | |||||||||||
河井継之助記念館 http://tsuginosuke.net/life2.html | |||||||||||
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